富谷の醤油屋に生まれ、衆議院副議長になった内ヶ崎作三郎

記者:富谷トム・・最終更新 2026年9月21日・読了目安 3分
内ヶ崎作三郎の白黒肖像写真
富谷出身の政治家・内ヶ崎作三郎の肖像/写真:作者不詳/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
この記事の目次

富谷のしんまち通りに「とみやど」という施設があります。正式には富谷宿観光交流ステーション。古民家と土蔵を改装した観光と交流の拠点です。

ここは醤油屋の跡地で、その家からは衆議院副議長が出ています。

内ヶ崎作三郎という人

市の説明によると、内ヶ崎作三郎は1877年(明治10年)、宮城県黒川郡富谷村、いまの富谷市富谷新町に生まれました。生家は1864年に味噌醤油業を開業した内ヶ崎醤油店です。作三郎は5代目として後を継ぎ、市の記載では2008年に181年の歴史に幕を閉じています。

経歴を年で並べます。

年 できごと
1877年(明治10年) 黒川郡富谷村に生まれる
— 尚絅女学会(現在の尚絅学院)でバイブルクラスに参加
1908年(31歳) イギリスのマンチェスター学院へ3年間留学。宗教、哲学、文学を研究
— 早稲田大学教授
1924年(47歳) 宮城県から衆議院総選挙に立候補し、政治家に
60歳のとき 文部政務次官
1941年〜1945年 衆議院副議長
1947年 死去

市はこの人物を「宗教家・学者・政治家の3つの顔を持つ」と紹介しています。取り組んだのは労働問題、女子の地位向上、教育問題。16冊の著作と数千の論文を書いたとされています。

1941年から1945年という4年間

副議長を務めた期間に目が留まります。1941年から1945年です。太平洋戦争の始まりから終わりまで、そのまま重なります。

この時期の帝国議会がどう機能していたか、その中で副議長が何をしたのかは、市の公表資料には書かれていません。ここでは、富谷の醤油屋に生まれた人物が、その4年間に衆議院の副議長の席にいたという事実だけを記します。評価を下すには、市のページ以外の一次資料に当たる必要があります。

ただ、その前半生を見ると、経歴は単純ではありません。キリスト教に触れ、イギリスに学び、労働問題と女性の地位向上を論じた学者が、戦時下の議会の要職にいた。地方の偉人紹介として一行で片づけるには、少し複雑な人です。

生家が「とみやど」になった

その生家の跡地が、いまの「とみやど」です。市によると、富谷宿開宿400年を記念して、観光交流の拠点として、また起業創業のチャレンジの拠点として、令和3年(2021年)5月にオープンしました。

構成は、内ヶ崎作三郎記念館を中心に、古民家や土蔵をリノベーションした建物と、新設のチャレンジ館です。ほかにイベントステージ、マルシェ広場、イベントルーム、パーティールームがあります。

市は2023年2月11日に来場者30万人を達成したと発表しました。2021年5月のオープンから1年9か月です。人口5万人ほどの市の施設として、この数字はよく足を運ばれている部類に入ります。

しんまち通りを歩くと

とみやどの住所は富谷市富谷新町111-1。営業時間は10時から17時で、定休日は火曜日(祝日の場合は翌日)です。電話は022-347-3344。

同じ富谷新町には、寛文元年(1661年)創業で宮城県最古とされる内ヶ崎酒造店(富谷新町27)があります。議決の集計は、公開している議員別賛否記録から自動算出しています。の氣仙屋茶畑も、しんまち通りの南です。

宿場、醤油、酒、茶。しんまち通りの数百メートルに、江戸から昭和までの富谷の商いが並んでいます。とみやどはその真ん中で、いまも人が集まる場所として使われています。

この記事の内容は、市の内ヶ崎作三郎ってどんな人物?(2021年3月1日更新)、とみやど来場者30万人達成(2023年2月16日更新)と、とみやど公式サイトから整理しました。営業時間は公式サイトの記載を採用しています。

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